そうだったのか~すべては神からの借り物編

その他
失っても手に入れても、全ては神からの借り物
奴隷哲学者エピクテトス
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%94%E3%82%AF%E3%83%86%E3%83%88%E3%82%B9
「健康も、財産も、家族も、神からの「借り物」に過ぎません。それを失うときは、執着することなく神にお返しするのだ」

今年もあとわずかになりました。
今年、貴方は何を手に入れて、何を失いましたか?

まめまるが失った最も大きな物は何といっても父の命です。
過去に遡れば、ここ数年でまめまるの仕事、山彦さんの仕事、まめまる自身の健康、まめまる母の健康や、うーちゃんの健康・・・。
こうやって考えると、幸せに生きるために必要な健康だったり仕事だったりお金だったりと、大きな物を次々と失っていますね。

そして、手に入れたのもと言えば。
まず、父から古家を相続と言う形で引き継ぎました。
それは借地で築50年以上で祖母が建てた家です。
まめまるは、そこで生まれ育ちました。
現実として母が生きていますので、父の物は何もかも全て母が受け継げばよいと思っていたし、母が亡くなれば近くで両親の世話をしてくれている妹夫婦が受け継げばよいと考えていたので、「何にもいらない」「全て母と妹に」とまめまるは早々に相続放棄の意思表示をしていました。
けれど色々な状況や事情が、結局それを許してくれませんでした。
土地が借地の古家は、建物を維持するにはメンテナンスにお金が掛かるし、売ろうにも売れないだろうし、解体するとなれば解体費用だって沢山掛かるだろうし…。
持っているだけで地代や固定資産税が掛かります。
受け継げば責任も一緒に発生します。
押し付け合いの感すら漂う話し合いを経て、終わってみれば、まめまるに回ってきました。
父の思いや父に託した祖母の思いが一番こもった物です。
まめまるにとっても生まれ育った思い出や私自身の思い入れも詰まっています。
父と祖母2人の意思を感じたのと家族の中での責任を果たすべく、受け継ぐことにしました。
想定外の状況です。
2つ目は、うーちゃんの命。
一時は無くしたと思った命が、再び手の中に戻ってきました。
腫瘍は無くなっていないので、完治では無くて小康状態と言うのが正しいのでしょうが、12月現在「生きている」事が奇跡だし、リボーン、生まれ変わったと、再び命を得たのだと思っています。
嬉しくてたまりません。

3つ目は、人間関係です。
父の他界や、母やうーちゃんの病気に伴って、両親や兄弟と協力しなければならない機会が増え、家族との絆が強くなりました。
幼馴染と縁が復活したり、友人との結びつきが強くなったり、今までとは違う新たなご縁が沢山出来ました。
過去数年に遡れば、失いかけたまめまるの健康も取り戻しつつありますし、山彦さんの仕事も全く未経験にもかかわらず手に入れる事ができました。
まめまるの仕事だけは、失ったままですが、お陰で自由な時間を手に入れられて、好きなお絵描きが出来るのだから、これもまた得たものの方が実は大きいのかもしれないです。

人は、何かを得たら喜び、何かを失ったら嘆きます。
けれど、エピクテトスは言うのです。
健康も財産も家族も神からの借り物。
だから死ぬときは全てお返しするのだ。
途中で失ったとしても、失ったのではない、お返ししたのだから、今まで借りていたことに感謝しよう。
そもそも貸してもらえない人だっているのだから…。

そうだったのか。
健康や財産や家族を失うと大きな悲しみを味わいますが、そもそも神様から貸してもらってない人から見れば、今まで有っただけで幸せだねって事ですもんね。

自分の所有物では無くて、一時的に借りているだけ。
「無いがデフォ」ってことですね。
「有るが当たり前だから、無いと悲しくなるけれど、無いが当たり前だと、有るが有難い」ってことです。
そして、有る物も自分の物では無くて借りている物だから、死ぬときは結局全てお返しするのです。

そうだったのか。
じゃ、今ある物は必要だから貸してもらっているだけ。
失った物は不要になったから返しただけ。
いちいち執着するなってことなんだなぁ。
心にとめておきたいと思っています。

今日の晩御飯

 

お刺身盛り合わせとチキンカツ定食
マグロ・ぶり・鯛・いかの刺身・大根
チキンカツ・サラダ
白菜とあげの煮物
豆腐とわかめの味噌汁

 

日のお買い物
サラダ油 338円
ヨーグルト 100円×3個
お刺し身 1080円
納豆 3個 58円
冷凍いかエビミックス 299円
キャベツ カット 24円
食パン 98円

税込み合計 2372円

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