そうだったのか~皆、傷ついている編

人間関係
皆、傷ついてる
生きていると、致命傷にならなくても毎日心と体に沢山の傷を負います。
傷が小さくて自分の回復力が強いときは、お薬が無くても治って行きます。
ところが傷が大きかったり、思いのほか深かったり、若しくは自分の回復力が下がっていたりすると、自然治癒力を信じて待ってても治りません。
ましてせっかく治りかけてかさぶたが出来ているのに、かさぶたを剥がそうとしたり同じ所を傷つけたり、傷口に塩を塗るような人が近くにいると治りません。
当然ですが、自分でかさぶたを剥がしても治りません。
うーちゃんは自分が調子が悪い時は、お気に入りの場所で一人で静かに休みます。
嫌いな人や自分に害を与えると思った人は完全拒否です。
それが、例え病気を治してくれるお医者さんでも、美味しいおやつを持って機嫌をとろうとしても、自分に嫌なことをした人は自分が回復するまでは、完全拒否です。
皆自分の正義があります。
動物のお医者さんは、うーちゃんを治してあげようと思って、それが正義、良い事だと信じて処置や治療をします。
けれど、うーちゃんにとっては、嫌な事をする人でしか有りません。
同じようなことは日々起こります。
そして、良かれと思ってやったのに…と拒否された側は、これまた傷つくのです。
社会の中で生きていこうとすると、うーちゃんの様に、嫌いな人を完全拒否することが難しいかもしれません。
相手がお姑さんだったり、上司や社長だったり、まして親だったりすると嫌いだな、自分にとって嫌なことをする不快な人だなと思っても、「嫌いじゃないですよ」って顔をして、結局自分を偽ることになります。
けれど、嫌がっているのは伝わるもので、相手もまた傷つくのです。
お互い傷ついているのに、付き合っていかなければなりません。
新しい傷が増え続けます。
そして何度も偽ると、思っていることとやっていること一致しないから、自分でかさぶたを剥がそうとしてみたりするようになります。
古い傷も治りません。
加害者と被害者という言葉は、第三者から見れば多数決でどちらがどうだと決まるかもしれません。
でも、日々の暮らしの中で起こる小さな傷の付け合いは、第三者にとってはどうでも良い事が多く、決まることは少ないです。
そして当人は、どちらも自分が正しい、正義だし被害者だと思っているのです。
そうだったのか。
自分が傷つけられたと思っている相手もまた傷ついているのですね。
そして、自分は正しい、正義だと思っている。
…ウ対ロの戦いもそうかも。
だったら、うーちゃんが正解なのです。
自分に嫌なことをする人からは、逃げて良いのです。
怒るでも悲しむでも無く淡々と距離を置く。
相手がどんなつもりかは、慮る必要が無いのです。
自分が嬉しいと感じるか、嫌だと感じるか、それが全てで、相手の気持ちや立場は関係ないのです。
逃げてもさらに追いかけて来て傷つけようとするなら、全身で嫌いだと完全拒否だと言ってよいのです。
言いにくいけど言って良いのです。
戦う前に逃げて良いのです。
だって、側にいると傷が治らないのだから。
逃げて、全身の傷が治ったら、それから再び付き合う相手を選べば良いのです。
どうしても切れない縁がある人とは、いつでも逃げられる距離を置いて出来るだけ近付かないように心がけるのです。
負ってる傷が多く深くなって、いつまでも治らなくなったら、自分でかさぶたを剥がそうするまえに、嫌いな人と距離をおいて良いのです。
今日の晩ごはん
白菜と春雨の中華炒め
鮭のグリル
里芋としめじの味噌汁
今日のお買い物
バター 150g 278円
納豆 4個パック 98円
マイタケ 食べきりサイズ 68円
トラウトサーモン 170円
カステラ 169円
税込合計金額 844円

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