今日の本 「余命10年」小坂流加

今日の本
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余命10年 (文芸社文庫NEO) [ 小坂流加 ]
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「数万人に一人という不治の病を患う、20歳の高林茉莉(小松菜奈)。余命が10年であることを知った彼女は生きることに執着することがないように、絶対に恋をしないと固く心に誓う。地元で開かれた同窓会に参加した茉莉は、そこで真部和人(坂口健太郎)と出会う。恋だけはしまいと決めていたはずの彼女だったが、次第に和人に惹(ひ)かれ、その運命も大きく動き出す。」
映画のあらすじから拝借しました。
3月4日公開だそうです。

作者の小坂流加さんは「原発性肺高血圧症」という100万人に2人程度の発症率の難病を患い、本を書き上げた数か月後に38歳という若さで他界されています。
主人公は彼女と同じ病気の設定のようです。

私は、中学生の頃に2か月弱ほどの入院の結果、「一生付き合っていかなければならない病の宣告」を受けました。
幸いにも彼女の様に命の期限の宣告は無く、50代に至る今まで生きることが出来ています。
けれど、中学生の私にとって、「一生治らない病気とこれから死ぬまで付き合って行かなければならない」「通院も投薬も一生」という宣告は、全ての希望を奪いました。
その時点で、女子中学生が抱きがちな、恋愛、結婚、出産等は諦めました。
何しろ世間を知らない浅はかな中学生の考える事です。
世の中には、健康で可愛い女性が山ほどいるのに、私をパートナーとして選んでくれる人なんていないだろうと思いました。
絶望だったと思います。
絶望した状態なのに、命の期限は無い。
自ら断つ決断をしなければ、生きなければなりませんでした。
不謹慎ですが、期限が有った方が良かったかもしれません。
生き地獄だと思ってました。
命が有っても希望が無いのに、生きる意味なんてあるんだろうか?
そう思っていましたが、死ぬ勇気は有りませんでした。
気力も有りませんでした。
私が一番に考えた事は、一生働き続けて、命の期限がやって来るまで自分の事は自分で養えるようにしなければ・・・でした。
世の中から、可哀想と思われるのは嫌でした。
結果、絶望したまま中学卒業、高校卒業。
手に職を付けるために、大学に行って、就職。
やりたいことを選択したのではなく、生きるために必要な職業に就いたと言うのが正しいと思います。
恋愛らしいこともしましたが、何しろ結婚も出産も願ってはいけないと自らに言い聞かせていたので、未来を語れない恋愛が上手く行くはずなく、本当に誰かを好きになるのも怖く、その前に自ら別の理由を付けて身を引いていきました。
今思えば、自分の感情に蓋をすることなく、素直に全てを話して、ぶつかれば良かったかな?とも思います。
けれど、当時の私は絶望の中で生きていたので、全てを話して大好きになってしまった人が去っていくようなことが起これば、自分を正常に保つ自信が有りませんでした。
表面上は一生懸命勉強して、働き、恋愛らしきこともして、高級なレストランで食事し、海外旅行に定期的に行く、今でいうリア充でしょうか?宝物のようなキラキラした時間を過ごしていた一方で、心の中は常に絶望し、「どうか一日でも早く死ねますように」と願っていました。
毎日生きている自分に絶望していました。
友達が一人、また一人、素敵な恋愛をし、幸せな結婚をし、可愛い赤ちゃんを授かるのを横目に、羨むことなく、自らを悲しむことなく、淡々と、感情を一定に保つのが精いっぱいでした。
仕事と遊ぶのが忙しくて、結婚なんてしてられない・・・。
そんな風に口では言いながら。

山彦さんに出会い、30代前半で結婚するまで、私の絶望は続きます。
幸いにも、彼が私の魂を救ってくれました。
生きる理由ができました。
子供には恵まれませんでしたが、当時の絶望感に比べると、私には些細な事です。

こんな私は、余命とか、難病とか、叶わぬ恋等の単語は苦手で、小説も映画も、この手の物は避けてきました。
記憶と重なるフレーズや、漂う空気、感情の移ろい、匂い、温度・・・。
閉じ込めた思いがえぐられて、あふれ出し、たまらなくなるからです。
「所謂お涙頂戴系の話は、辛気臭くって大嫌い」なんて、口では言ってますが、本当は辛くてたまらなくなるのです。

では、なぜ今回は読んだのか?
作者の方が現実に、主人公と同じ病で若くして亡くなっておられるから。
まさに、命を懸けた私小説であると知ったから。
作家さんだから、設定や脚色は自由自在だろうけれど、フレーズや、漂う空気、感情の移ろい、匂い、温度感等、文章からあふれ出す心の部分は小坂流加さんの本当が感じられると思ったから。

感想は、プロの作家さんに対して偉そうで失礼な言い方かもしれないけれど、文章自体は幼い感じが拭えない。
表現だってストレートだし、情景の描写も分かりやすい。
けれど、それは素直さの表れで、素直でストレートで分かりやすいから胸を打つ。
匂わせタイプではなく、直球タイプ。
決して泣くまいと心に決めて読んだのに、守る事が出来ませんでした。

絵画でも歌でも、テクニックの上手さと、伝えたいことが上手に伝わるかは、必ずしも正比例しない。
拙くても、伝われば勝ちだと思う。
不治の病でなくても、誰しもが生きていればどんなに努力しても、自分の力ではどうにもならない事にぶち当たる。
そんな経験をした事がある人なら、彼女の絶望と懸命さと潔さが理解できるのではないだろうか。

今日の晩御飯

タァサイチャンプル定食

タァサイチャンプル
トマトとかぼちゃのサラダ
茄子とかいわれの味噌汁

今日のお買い物

無し

税込み合計 0円

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