山崎元様のご冥福をお祈りします

雑記

元日に経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員の山崎元様がご逝去されました。
心よりご冥福をお祈りいたします。
65歳だったそうです。
まめまるも資産運用についての考え方を、とても参考にさせていただきました。
時に強く聞こえる言葉の根底は、正直で真っすぐで、嘘やごまかしが大嫌いな性格で出来ていて、「信用できる優しい人だなぁ」と感じていました。
残念です。
最近も、年末にReHacQでお姿を拝見したばかりだったのにね。
久しぶりに拝見したお姿は、随分痩せて、過酷な闘病をされておられるんだなぁと容易に想像がつきましたよ。
頭の良い方だから、逃げることなく御自分の病状と対峙し俯瞰し、感情的になることなく淡々と、自分が良しと思う治療を選ばれたのだろうと。
投資の世界で言われるようなリスク・リターンを頭に、治療の最悪と最高を想定し、享受できる効果と照らし合わせて、表面上は動じることなく、ね。
そして、自分が無くなった後、残されたご家族が困らないように諸々と準備し、命を全うされたのだろうと。
表面上は淡々と、ね。
でもね。
心の中は悔しさで一杯だったと思うのよ。
病が発覚する前は、まさか65歳で寿命が尽きるなんて思っておられなかったと思うし。
子供さんの成長だって、まだまだ見守っていたかったと思うし。
仕事だって、やりたいことがまだまだ有ったと思うのよ。
日本や世界の経済の未来だって、知りたかったと思うのよ。
もっと生きていたかっただろうなぁ。
そんなことを考えていたら、訃報の記事を受けて、コメントで、「増やすだけ増やして亡くなってしまうなんて、一体何のための資産運用なんだ」「これから使うステージなのに、貯めて増やしても意味ない」「人生100年とか言うけど、平均寿命より早く、お迎えが来る場合だって普通に有って、今を我慢して無理して貯めるのは止めた」なんて発言が有ったと知ったの。
確かに、年金だって65歳で亡くなったら、払い損よ。
頑張って節約生活して、資産運用にも成功しても、いざ使うステージになった時、使える状況じゃなかったら、「あんなに頑張るんじゃなかった」と後悔するかもしれないわ。
だから、やりすぎは良くないわね。
病むほど頑張る必要はないわ。
けどね。
寿命が不確定なのだから、短命リスクより、長生きリスクを考えるしかないじゃない?
「DIE WITH ZERO」では、使い切って亡くなれって言われるようだけれど、それって結構難しいわよ。
そもそも、我が親を見てて思うの。
確かに食費は、食べれる量が減っているのだから、減っていて当たり前のように思うけど、実際は食べたいから買って、いざ食べようと思うと食べたくなくって廃棄なんてことが、すごく多いの。
水道光熱費だって、節約して風邪でも引いたら大変だから、節約しないわよ。
レジャー費だって若い頃にように遊べるわけじゃないから減ってるはずだけど、一緒に出掛けてくれる人が介助してくれるでしょ?
そしたら、食事代くらいは…ってなるものよ。
だから、そんない減ってないのよ。
今は、施設に入所してるわけでも入院してるわけでもないから、病院代はしれてるけど、父の晩年を見ていると医療保険や介護保険では賄いきれないお金が沢山かかったわ。
そうなのよ。
長生きすると、やっぱりお金が意外とかかるのよ。
だからね。
まめまるは、ゼロでは死なないと決めているの。
そうよ。
理想は、ある程度のお金は出来るだけ長く、なんなら死ぬまで運用して、そのお金は残して死ぬつもりなのよ。
寿命がいつ来たとしてもね。
ゼロに近づく恐怖って、出来たら考えたくないから、運用する少しのお金は安心料だと思うことにしてるのよ。
山崎氏もお金の心配をせずに個室入院だったから、好きな仕事が出来た言われていたし。
ある程度のお金を残して、今後の家族の生活も心配せずに虹の橋を渡られたなら、「あぁ、自分が選択してきた道は間違ってなったなぁ」ってニッコリしている気がするのよ。

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