2023年3月14日と15日のお買い物とごはん

雑記
お買い物
もやし 18円
食パン 98円
豆腐 500g 88円
えび 210円/100g 138円
舞茸 98円
鮭 あら 120円
マーマレード 308円
納豆 4個パック 78円
にら 98円
ねぎ 少量 50円
菊菜 98円
椎茸 98円
メークイン 98円
鰹たたき 198円/100g 195円
荒磯のり 218円
鳥肝 48円/100g 199円
味付けうどんあげ 108円
ナチュレ 400g 125円
お好み焼きソース 500g 128円
きゅうり 3本 98円
フィッシュソーセージ 3本 100円
税込み合計 2763円
ごはん
14日
麻婆豆腐定食
麻婆豆腐
菜の花の辛し和え
鮭の塩焼き
もやしとあげの味噌汁

15日

鳥肝のレバニラ炒め定食
鳥肝のレバニラ炒め
鰹のたたき
海苔の佃煮
ねぎとわかめの味噌汁
またしても、写真が保存されていない…。
間違いなく撮影したのに不思議。不思議と言えば、昨日はご年配の方2人を相次いで手助けする状況に出くわした。
時はお昼前、お買い物へ行く途中。
片側に公園とマンション、もう片側にはホームセンターの壁がそびえたつ緩やかなアップダウンが有る1本道でのことでした。
その道は、車道となっていて乗用車がぎりぎりすれ違うことが出来るほどの幅。
決して広くない。
その道に私が差し掛かったところ、何と車道のちょうど真ん中を電動シニアカーにちょこんと乗った女性がゆっくり、ゆーっくり進んでいました。
シニアカーの後ろにはお買い物した荷物を載乗せて、前のめりになってゆっくりと。
ゆっくりと進まれているのは良いけれど、彼女の後ろには大型のトラックと乗用車が列をなしています。
だって、ちょうど真ん中をばく進中。
大型のトラックは彼女の右側も左側も通れません。
クラクションを鳴らしあぐねているのか、鳴らしても気が付かなかったのか不明だけれど、このままでは時間の問題で更に渋滞になってしまうし、何より彼女が危ない。
彼女に駆け寄って声をかけると、耳元で大きな声で話せば聞こえる様子。
後ろを指さしながら「後ろから車が来てるから危ないですよ」
そう言うと「あぁ」とやっと気が付いた様子。
道路の片側の安全な場所に彼女のシニアカーを誘導してトラックと乗用車を通した。
「ありがとうね」彼女が右手を挙げて大きな声で言ってくれた。
「後ろから車が来ると危ないから気を付けてね」そう言って見送った。

彼女を見送って10メートルも進んだかどうだか。
つまり、すぐって事。

尻もちをついた状態で動けなくなっている男性を発見。
彼も道路の真ん中にいる。
たまたま通りかかった男性2人と一緒に駆け寄ってみる。
「尻もちを付いたら起き上がれなくなった」と笑いながら話をされる。
頭を打ったり、どこかを骨折している様子は無さそう。

ホッとしたが、何しろ彼が動けなくなっている場所は車道である。
いつ車が通るか分からない。
とりあえず、そばの公園のベンチに誘導しようということになった。
背負っていたリュックを外して、リュックと持っていた杖を私が預かり、男性2人が両脇から抱きかかえるようにサポートして立っていただいて、公園のベンチまで誘った。
驚いたのは、そのリュックがとってもとっても重たかったこと。
彼が起き上がれなくなっていた場所が坂の途中だったこと、杖を持っていたことを考えると、もともと不安定な重心が、リュックの重さで後ろに引っ張られて倒れてしまったに違いない。
聞けば近くの家に帰る途中だという。
「お迎えに来てくださる方がいれば連絡しましょうか?」
そう言ってみる。
男性のうちの一人の方が「家まで荷物を持って行ってあげるよ」
そうも言ってくれた。
けれど、「一人暮らしだし、ここで少し休憩したら大丈夫だから」とはにかんで遠慮される。
しばし悩んだけれど恥ずかしそうにされているので、いつまでもそばにいない方が良さそうだと判断して私は離れることにした。
「ありがとう」彼もそう言って右手を挙げた。私は、こういう場面に良く遭遇する。
何かを聞かれることもすごく多い。
道を尋ねられたり、バスや電車の乗り方や、イコカのチャージの方法まで。
制服も着てないのに、ドラッグストアの売り場で相談されることも。
そして先日のように見ず知らずの方からよつ葉のクローバーを頂くなんてことも有る。

今なら暇そうに見えるからかな?と思うが、フルタイムで働いていたころからそうだった。
どうやら、ご年配の方との御縁が有るらしい。

それにしても…と振り返ってみる。
お二人とも、お買い物をしたらしき荷物を持っていた。
1人は電動のシニアカーに乗る位だから足が不自由なのだろう。
もう一人も、自力で歩行は出来るけれど杖が必要な状態だった。
お金を払えばヘルパーさんに頼むことだって出来るだろうし、宅配を頼むことだって出来るだろうに。
そんな不自由な状態で買い物に行って倒れたり事故にあったりしたら元も子もない。
「持ってきてもらえば良いのに」
そう思ったけれど、よくよく考えると実家の母だって同じである。
コープの宅配を利用して、毎週自分で注文したものが届く。
なのに。
なのに。
やっぱり自分で買い物に行くし、一人では食べきれない使いきれない量の物を買って帰ってくる。
そして、買ったものを袋ごとどこかに置いて来たりしている。
結局食べきれずに捨てたり、私たちのお腹が消費したりする羽目になっている。
そうか、同じだなぁと。

そして、何故そこまでしてなぜ買い物に行くのか?と考える。
すると、思い当たります。
当然ですが、買い物と言うのは一種の狩りなのです。
木の実や野菜を収穫したり、獣を狩ったり。
古代の人なら、自ら積極的に自然の中に出て行って、採ったり狩ったりして食べ物を確保していた行動が、現代はお店で買う行動になっているだけ。
古代なら積極的に食べ物を確保する行動をしなければ命が保てなかったのだから、命の危機を感じれば感じるほど、必死で本能で狩りに、買い物に行ってしまうのだと思うのですよね。
だとすれば、本能で命に危機を感じれば感じるほど、何かが足りないと渇望すればするほど「買い物に行く」で、「買い物に行かないは本能に逆らって律しなければ出来ない行動」なのだから、ぼんやりしていると「行く」になるよねぇと思うのです。

30年後、彼らと同じ年代になった私は、やっぱり本能の赴くまま、不自由な体を引きづって買い物に行き、見ず知らずの方にお世話になっているのかな?と考えると、出来ればそうなりたくない気持ちと、本能だから仕方ないよねと思う気持ちが交差して複雑な気分になったのでした。

コメント

タイトルとURLをコピーしました