やめたら楽になった事

その他

友人Oちゃんに、「やめたら楽になった事って有る?」って聞かれたのよ。
Oちゃんは、「ママ友との付き合い」らしいわ。
積極的にやめようとしたんじゃないのよ。
お互いの子供さんが大学生になって、同じ学校じゃなくなったから、自動的に無くなっただけなのよ。
けど、無くなったらレモンスカッシュくらい爽やかになったらしいわ。
爽やかになるだろうと予想はしてても、あえて報告したくなるくらい爽快だったって話よね。
最近パートを始めたから、一層ママ友と距離を置きやすくなったし、関係を悩む時間が減ったのも良かったんだろうね。
ママになった事が無い私には、想像しにくい世界だわね。

片や私はと言えば、「合わない靴」ね。
合わない靴?何それ、合わない靴を履いてるなんて馬鹿じゃない?、だわ。
そうなのよ。
当たり前じゃないのって言われそうだけど、甲高幅広でサイズが小さい私の足に合う靴って凄く少なくてね。
靴売り場に行けば可愛いデザインの物は沢山あるのに、私が履くと足が痛かったり辛かったりするの。
足に合う物は好みじゃない色やデザインの物ばかり…。
過去の私は、「こんなに沢山の可愛いデザインの靴が有るのに合う物が無いなんて、私の足が悪いんだな」
そんな風に解釈して、合わない靴に自分の足を合わせようと努力する日々だったの。
当然、私の足は靴擦れが出来て出血したり、血行が悪くなって神経に障害が出るようになったり、外反母趾のように変形したりしたのよ。
どう考えても努力の方向性を間違ってるわよね?
足を靴に合わせる努力してどうするのよって話よ。
そうじゃなくて、可愛くて足に合う靴を探す、もしくはオーダーで作ってもらう努力をしなくちゃいけないわよ。
小学生でもわかる話よ。
これね、笑い話のようだけど笑ってられないの。
合わない靴に自分の足を合わせ続けたらどうなったか?
なんと、靴だけの問題じゃなくなっていったの。
すべての思考がそうなって行ったの。
「合わないのは自分が悪い、自分のせい」
靴が合わないのは私の足が悪い。
服が合わないのは私の体が悪い。
髪型が似合わないのは私の髪質が悪い。
食べ物が合わないのは私のアレルギー体質のせい。
人間関係が上手くいかないのは私の性格のせい。
仕事が上手くいかないのは私の能力不足のせい。
自分のせい、自分が悪い…。
だから自分が合わせよう、我慢しよう。
そんな思考になって行ったのよ。
今なら、おかしい事が分かるの。
でもね、過去の私は分からなかったの。
皆も程度の差は有れども、合わない靴に自分の足を合わせてるんだって思ってたから。
だから、私も努力と気合と根性で乗り切ろう…だって私が悪いんだもん的な発想よ。
おバカじゃないの?
そうよ。
おバカよ。
でね、ある日限界がきて合わない靴を履くのを止めてみたの。
そしたら、楽になった。
そりゃそうよ。
無理してたんだもん、脱いだだけで随分楽になるわよね?
更に、裸足で歩いてみたら楽しくなって、更に足に合う靴を探して履いてみたら、なんともっと早く遠くまで歩きたくなった。
ふふふ。
当たり前すぎて、何言ってるか分からないわよね?
それ以来、合わないと感じたら止めることにしたの。
仕事も食べ物も趣味も付き合いも。
一旦やめて、それから合う物を探す努力をすることにしたのよ。
ポイントは合わないと思ってるのに、合わないと思いながらズルズルと止めずに、合わない物を身に着けたまま合う物を探し続けるような事はしないってことね。
合わないと思ったら、すぐに一旦やめるの。
止めてから、次を探すの。
2段階が大事よ。

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