今日の晩御飯 2022年3月20日

雑記
今日の晩御飯

牛肩肉の煮込み定食

牛肩肉の煮込み
ご飯
ちくわきゅうり

 

今日のお買い物
無し
税込み合計 0円
今日のできごと
トマト煮か、ビーフシチューにするつもりで購入した牛肩肉。
今日のお昼ごはんが、ペンネアラビアータだったので、和食が食べたくなり和風の煮込み料理に。
ゆで卵やこんにゃくや人参、大豆も入れてごった煮感満載。
見た目はちょっとアレだけど(アレって何?)、このごった煮風がむしろ今日の気分に合っている。
煮込み用の肩肉は硬い(「電話に出んわ」みたいになってる)。
硬いが、じっくり煮込むか圧力鍋を使うと、すじ肉とは違った味わいや食感で、とっても美味しい。
我が家は圧力鍋が無いので、場合によればシャトルシェフ等を活用して、じっくり煮込む派。
だから時間だけは掛かる。
圧力鍋を買おうかと検討したことも有ったけど、購入に至ってない。
何故か?
費用は数万円も有れば買えるので、何とか問題ない。
置き場所は、大きな問題。
何かを捨てるか、棚を一つ増やす必要があるかもしれない。
大きな問題だけれど、これも不可能ではない。
最も大きい理由は、私の感情だった。
リタイアして自由な時間が増えると、こんな時間が楽しい、嬉しいと感じることがたまに有ると気付いた。
その楽しい、嬉しいと感じる時間を、圧力鍋でしゅっと短くしてしまうのは如何なものか。
そんな感情が、圧力鍋の購入を躊躇させている。
時間に追い立てられた30年間のサラリーマン生活は、すっかり私をせっかちな人間に作り上げてしまった。
退職して、もうすぐ2年になるが、未だに「待つ時間」は、とっても勿体ない気分がして苦手。
自分が待たされるのも、誰かを待たせるのも、モヤモヤする。
電車やバス待ち、病院や薬局での待ち時間・・・出来るだけ無くしたい。
時間は何より貴重で、いかに効率的に日々のタスクをこなすかに注力していたから。
自分が貴重だと感じている物を、無駄にされるのが嫌なのだ。
5分あればこれが出来る、10分あればこっちも出来る。
これをしながら並行してあれもやろう・・・。
いつも、やらなければいけない仕事や家事と時間を考えて、生きていたからだった。
だから、特別な料理にならいざ知らず、日々の料理に時間を掛けるなんてナンセンス。
出来るだけ時間も手間も掛けずに、ローコストで栄養が摂れるものが正しい、だった。
時短は必須と思っていた。
チャチャっと作って、チャチャっと食べるのが正義、だった。
でも最近思い出した。
子供の頃は、菓子を焼いたり、刺繍をしたりするのが好きだった。
料理を煮込んだり、焼き上げたりする時間を、コンロやオーブンの傍で本を読んだり、手芸したりして楽しむのが好きだったと。
今まで無駄だと思い封印してきた「時間を浪費する事の楽しさ、幸せ」を思い出してきた。
結局私の場合は、時短で効率的に無駄なく時間を使うことが、最終的には自分を追い詰め、幸福度を上げることに繋がらなかったからだ。
何も後悔しているわけではない。
空気だって有る事が当たり前な時は、その貴重さに気が付けない。
がむしゃらに、効率重視の30年を経験したからこそ、時間の貴重さに気が付き、時間の浪費という贅沢を意識して楽しめるようになったのだから。

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