今日の晩御飯 2022年4月15日

雑記
今日の晩御飯

おろしハンバーグ定食

ご飯
おろしハンバーグ
サラダ
竹輪ときゅうりの胡麻マヨ和え
小桜
わかめと卵の味噌汁

今日のお買い物
水菜  92円
人参 98円
合い挽き 361円+362円
納豆 58円×2
きぬこし 49円
小桜 104円
竹輪 88円
税込み合計 1278円
今日のできごと
掃除のため実家へゴー。
交通費節約の為、家から最寄り駅までゆっくり歩いた。
実家では、洗濯、風呂掃除、冷蔵庫の腐っている食べ物の整理、観葉植物の水やり等せっせと済ます。
帰りも、最寄駅から自宅まで歩き、途中で買い物も済ませた。
帰宅して見てみたら、歩数計が14888歩を示していた。
こんなに歩いたのに、今日は腰がそんなに痛くない。
足は痛いけど、我慢が出来る位だし、しびれも強くない。
調子に乗って頑張ると明日は痛いのだろうけど、兎に角今日は、今は大丈夫。
又、こんなに歩けるようになるとは思ってなかった。
立ったり歩いたりしている時は勿論、横になってても、座ってても痛いし、しびれていて身の置き所が無かった。
大好きな旅行は移動も観光も辛いから、一生行けないかもなぁなんて思っていた。
けれど、専業主婦の2年間で10の痛みが7位に回復してきた。
3割減。
帰宅後、自分ちの掃除機をかけ軽くふき掃除し、夕食の準備をする。
15000歩も歩いた後、まだ掃除したりご飯の用意をする気力と体力が戻ってきているのが我ながら驚きで、嬉しい。
ストレスが減り、ゆっくりご飯を食べる時間が出来たから、胃の不調も軽くなっている。
心の安定と睡眠、しっかりと食事をする。
そんな普通の事が、少しづつだけれど効いて来た気がする。
心穏やかに、普通にご飯を食べて普通に寝る。
こんな基本的な事が働いていると、本当に難しい。
専業主婦でいさせてくれる山彦さんに感謝している。
20代、30代の頃は、無理しても平気だった。
40代半ばから全身に発疹が出たり、眠れなくなったり食べれなくなったりと徐々に不調が積み重なっていった。
この頃から、匂いに敏感になって、特にバスや電車の匂いや揺れが辛い日が出てきた。
50代になった頃、部署移動に伴い通勤距離が延び、職場の人間関係も変わり一気に体調を崩した。
けれど、私は体調悪化を自分で認めず、日常生活にウォーキングやファスティングを取り入れて、更に通勤距離の長いしかも人間関係の悪い職場に転職した。
自分を追い込んで、気合で根性で乗り切ろうともがいた。
やれるはず。
甘えているだけだ。
20代、30代の頃、力業で乗り切って来れた経験が、私に更なる無理をさせた。
通勤電車に乗れなくなった。
目の前に、電車が止まっているのに、手が震えて涙が出て、苦しくて眩暈がして吐き気がした。
折しも、プライベートでは両親の体調が悪化し、サポートが必要になって行った。
全身の至る所が痛み出し、脳がしびれた。
仕事が出来なくなった。
今思えば、もっともっと早く一旦退職し、しっかり休むべきだった。
けれど、当時は経済的事情も有り、フルタイムで働くという選択しか出来なかった。
それでも、今思えば休んでおくべきだった。
もっと自分を大事にしてやるべきだった。
体調が悪くなった時にするべきは、自分を追い込むことではなく、休むことだったと思う。
当たり前の事。
うー様だって分かる。
なのに、私には分からなかった。
当時は休むが出来なかった。
結果、強制的に休むステージとなった。
大部分の感情は「もう戦わなくて良い安堵感」。
そして、少しの「社会の歯車から外れた喪失感」。
2つが存している。
先日の様に、たまに社会の歯車に戻る機会を貰うと、失った物を取り返したい欲望がモクモクする。
チャンスが無くなると、ガッカリしたけど同時にどこかでホッとしている。
何といっても両親のサポートは、二人が亡くなるまで必要で、私の体の痛みは改善傾向とは言え、まだ3割減でしかないのだから。
最近、ビジネス本とか自己啓発本とか言われるジャンルの本ではなく、娯楽小説が読めるようになった。
推理小説とか恋愛小説とか。
自分とは関係ない世界に入り込み、どっぷり浸かって楽しむ。
読めるようになった・・・って、読めばよいじゃんと思うだろう。
私もそう思う。
誰に禁止されていたわけでも、制約が有ったわけでも無いのだから。
けれど、40代頃から読んでいると、こんなもの(めちゃ失礼ですね、ごめんなさい)を読んでいる場合なのか?もっと他に読むべき本が有るだろう・・・と心の声が聞こえてきて没頭できなくなり、次第に気が散って楽しめなくなっていったのだった。
本業に必要な勉強したり、自己啓発系やビジネス系、金融系、栄養や健康系、読むべき本は大量にある。
純粋に楽しむだけの本を読む時間なんて有るのか?
そんな心の声が、元々好きだった楽しむための読書を遠ざけていた。
それが、徐々にだけれど没頭出来るようになって来た。
心も元気になって来たんだなと思えて嬉しい。今も例えばユーチューブで見るのは、学ぶ系が多い。
見て、得るものが無いと時間を無駄にしているような気がして、罪悪感が有る。
学ぶ系だと学んでいる気分がして、心がざわつかない。

映画だって好きだったのに、同じように時間の無駄遣いのような気分がまだする。
山彦さんが良く「心の栄養」というフレーズを使う。
例えば、ケーキやお饅頭を食べる時。
何の栄養も無いどころか、摂取したビタミンやミネラルを奪ってしまうかもしれないそれらを、「栄養が無いから不要」と言い放つ私に、山彦さんは「体の栄養にはならないかもしれないけど、心の栄養にはなるよ」と言う。
「心の栄養って・・・(笑)、子供かっ」と思っていた。
けれど、スイーツも本も映画も、実用的な内容でなかったとしても、楽しむことで本当に心の栄養になり、それは体の栄養と同じくらい大事だと身をもって分かるようになった。

コメント

タイトルとURLをコピーしました