父の退院

まめまる父

ついに父が退院し、帰宅した。
一昨日の輸血時に嘔吐し、発熱も有ったようだが、昨日の朝は体調が戻り、予定通りの退院となった。
娘2人が付き添い、娘婿が運転する車で帰宅。
帰宅後は、ケアマネさん、デイサービスを利用する施設の方、ヘルパーさん、介護用品の事業者さんが担当者会議を行い、これからの父の生活を支えるため、情報を共有して親身になってくれる。
少しでも気に入らないと、文句ばっかり言ってる父だが、つくづく幸せな人だ。

週に2回デイサービスを利用し、1回病院を受診&輸血し、1回訪問看護師さんが看護し、1回リハビリをして、間でヘルパーさんがサポートをしてくれる。
同居の母にも負担が掛かり過ぎないよう、ケアプランが立てられてゆく。
自分を含め両親や家族が若くて元気で医療費を使わない時は、健康保険料や介護保険料が高いなぁと思っていた。
ケド、こうして家族に介護が必要になった時や、高額医療の助成を受けるようになると、自分が支払って使わなかった医療費を父や母が使っている事を家庭レベルで実感として理解。
支払う金額は大きいけれど、有難いし良く出来た制度だなぁと思う。
さすが、頭の賢い人が考え抜いて決めているのだから、結構抜かりが無い。

それにしても、いざサービスを利用となると、それぞれの事業所と個別に契約しないといけないので、事務手続きだけでも大変。
説明責任が有るからそれぞれが丁寧に説明してくださるけれど、後になればなるほど頭がぼーっとしてきて、だんだんと思考が停止してゆく。
正直、言われるがまま。
イケナイ。
50代でこれだから、老々介護の現場だと実際の介護が始まる前に家族側と事業所側の両方が疲れ果ててしまいそう。
将来、子供がいない私達が介護が必要な状況になった時に、どうなるんだろうと想像すると、明るい未来は浮かばず、やっぱり恐怖で、「自分はどうか他人様に迷惑をかけずに早めに死ねますように」と願ってしまうのは、自然な流れで。
「自らの意志で自らの命の期限を決める権利を法的に認める制度」は、無駄に苦しむの人の心を救う医療として、あくまで自分の尊厳や理念を守るための選択肢の一つとして、必要かもしれないなぁなんて、珍しく難しいことを考えてみたり。

肝心の父は、帰宅できたことが嬉しいらしく、担当者会議にも参加し、御満悦だった。
私達家族はぐったりしたけれど、父が満足なら、その他諸々の事は枝葉。
スタートは成功だったと思いたい。

コメント

タイトルとURLをコピーしました