うー様と首輪

うー様

うー様は首輪をしていない。
子供のころから何度かチャレンジは、した。
ケド、嫌がって外そうとし、さるぐつわ状態になった。
緩すぎるのかと反省し、少しきつめにしてみたけれど、転がって手で外そうともがく。
束縛を嫌う自由大好き女、なのだ。
指2本分のゆとりが有れば良いらしいが、「緩すぎず、きつ過ぎず」は微妙に難しい。

最近の首輪はよく出来ていて、はずれる方向にある程度の負荷が掛かると、自動的に外れるようになっている。
これは、例えば首輪をした猫が外で小枝などに首輪が引っかかり、身動きが取れなくなるのを防ぐため。
引っかかっても、力が加わると簡単にはずれる。
かくして、付けては外し、付けては外しを繰り返した。

飼い主目線で言えば、うー様に似合いそうと選びに選んだ首輪は、当然ぴったりで、女子力がかなりupするアイテムである。
イヤ、うー様は可愛いので、頂き物の首輪でも、どんなトンデモ柄でも、華麗に着こなす力を持っている。
万が一、災害時やアクシデントで家出をしても、首輪に迷子札を付けていれば保護してもらえるかもしれないし、保健所に持ち込まれても飼い猫だと判明すれば連絡を貰えるかもしれない。
是非とも付けさせてもらいたいと、材質を変えたり、鈴などの音がするものが付いていない物にしてみたりと工夫をしたけれど、どうしても嫌だと言う。

うー様がストレスに弱いと知っている「あまあまの飼い主」である私達は、うー様の訴えに屈し、結局今も付けさせて貰えていないのだった。
首輪を付けて、おしっこが出なくなる位なら、付けずにおしっこが出る方が良いだろうと判断したのだ。
首輪をしていない、服も着ていない、雑種の茶トラのうー様は、鉄壁の「ザ・平凡猫」。
希少性は一切ない。
特別感は全くない。

けれど・・・。
この寝て、食べて、たまに膝でふみふみしながら、ぐーるぐると喉を鳴らす3.8㎏の茶色い塊は、生きているだけで、私を幸せにする。
うんちしていても、その一生懸命さが可愛い。
「愛される方法」なんて自己啓発本を読んでいるわけでも、「皆を幸せにする方法」なんてセミナーを受講しているわけでもない。
まるはだかで、自分に正直に、ある意味空気を読まずに生きている、それだけ。

うー様を見ていると、人間は物事を複雑に考えすぎているのかもしれないと思う。
首輪を付けたら飼い主が喜ぶから、嫌だけど付けよう、なんて思わない。
フミフミしたら可愛く見えるからと、可愛く見せるためにしたくないけどフミフミしよう、なんて思わない。
首輪は嫌だから付けない。
フミフミはしたいからする。
結局、正直に生きて、幸せに暮らして、さらに周りを幸せにしている。
自分の気持ちに嘘を付くから複雑になる。
人間は、時には、嫌なことをしないといけない状況に陥ることはある。したくないけどやらねばならない事だって有る。
けれど、どうでも良いことまで複雑に考えて、空気を読んでいるつもりになって、自分に嘘を付くから幸せを感じにくくなって、愛されなくなる。

高価なアクセサリーを付け、ブランド物の服を着て、立派な御家柄で、見た目も麗しいことは素晴らしいし幸せであろう。
では、もしもそんなものが自分に無かったとしたら、幸せにはなれないのか?
そんなことは無い。
嫌なことを嫌と言える、好きなことを好きと自覚してやれる正直さを持てば、平凡なビジュアルでまるはだかでも幸せに生きられるし、周りを幸せにすることだって出来る。
うー様が、そう教えてくれている。

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