Y様からの手紙

雑記

先日、Y様の奥様から、Y様の訃報を知らせる手紙を頂いた。
Y様は山彦さんが自営業時代のお客様。
御年90年余りで、奥様と二人暮らし。
娘様が2人おられる。
大きな仕事をしたわけでも無いが、家族の様にお声をかけて下さって、山彦さんは可愛がっていただいた。
仕事でご自宅を訪問すれば、過分にもてなして下さった。
私は直接お会いしたことがなかったけれど、筆不精な山彦さんに変わり、お礼状等を送らせていただくと、またお返事を下さるような律儀な性格に触れて、勝手に親近感を持っていた。
数年前に、「年賀状を卒業いたします」と連絡を頂いてから、連絡が途絶えてしまった。
お体の調子が悪そうな様子に、お手紙を差し上げて負担が増えるのを危惧し、私たちの方からも、出さなくなったからだった。

訃報を知らせる手紙には、Y様自身の手紙が添えられていた。
内容は、人生を振り返って、敗戦後の事、40年余り従事された仕事の事、阪神淡路大震災の事、奥様との結婚生活、家族の事・・・。
「後半は幸せでした」という感想と「感謝の言葉」でしめられていた。
随分前から準備されていた様で、「平成○○年△△日、この世とおさらば致しました」の、○○と△△の所が書き加えられ、平成の部分が二重線で令和に訂正されていた。
そういう時代だったと言えば、それまでだが、シベリアに4年3か月もの間抑留されたり、高度経済成長期の日本をサラリーマンとして支えたり、晩年になって震災に遭遇し転居せざるをえない状況になったりと、文面からはうかがい知れない体験をされて来たはず。
にも拘らず、苦労や不幸や不運等の言葉は一切なく、唯一「後半は幸せでした」の「後半」とわざわざ書かれている事で、前半の苦労を想像させるのみ。
「幸せ」と「感謝」の言葉でしめられている手紙に、流石だなぁと思う。

50歳を超えると、老いや寿命が身近になってくる。
自身の事も勿論だが、親、兄弟、友人。
周りが皆、「どこそこが痛くて」とか「物忘れが激しくて」とか「気分が晴れないのよ」とか「手術することになったよ」とか、程度の差こそ有れ、不調になってくるからだ。

最近、訃報の知らせを聞いて感じていたことが有った。
「この方は、立派な素晴らしい人だなぁ」と感じていた人は、「立つ鳥跡を濁さず」と言わんばかりに、死に際が綺麗なのだ。
用意周到とでも言うのか。
介護が必要なら、自ら老人ホームに入る。
遺産相続が起こりそうなら、法的にきちんと対応しておく。
不要な家財などは処分し、終活する。
墓や遺影や葬儀屋まで手配する。
Y様の様に、訃報を知らせるリストを準備する。
自分が死んだあと、家族が困らないように最大限の準備をし、そして亡くなられる。
結果、争いごとが起きず、亡くなって後も「素晴らしい人だった」と記憶に残る。

行き当たりばったりの人生ではなく、ずっと先を見越して生きてこられたからこそ、自分が亡くなったその先まで冷静に見つめ、対応している。
当然、社会的な地位が高い人が多い印象になる。
当たり前だ。
見えている所、見ようとしている所が違うのだから。

奥様の文面には、既に弔いの行事をお身内のみで済まされた事や、お供え・供花は辞退したい旨が書き添えられていた。
それでも、お香典をと考えたが、Y様が我が親ならどうかと思いなおす。
わずかなお香典を送って、手を煩わせるようなことはしたくない。
迷いに迷い、お茶を送らせてもらうことに決めた。
Y様の奥様にゆっくりと味わっていただきたい。
Y様にお供えしていただいて、一緒に飲んでいただけたら、もっと嬉しい。
お返し等考えなくて良い、負担にならないような金額で。

私自身は、怖がりの慎重派のくせに、時に投げやりとも思えるような行動に出る事が有る。
自分でも、意味が分からないと思うが、そろりそろりと進んでいるのに、何かのキッカケが有ると突然大胆な行動をとるのだ。
行き当たりばったりになる。
最後の詰めがめちゃ甘い。
せめて最後位は、希望通りに綺麗に人生を終われるように、出来る準備はしておかないと。
先見の明は全く無い。
けれど、優れた先輩方のマネなら出来るんじゃないかと手紙を見つめた。

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