能登半島地震の被災者の皆様、お見舞い申し上げます

雑記

能登半島地震の被災者の皆様、羽田空港事故の事故の関係者の皆様。
心よりお見舞い申し上げます。
そして、救助・救命のために尽力されている皆様。
感謝申し上げます。
くれぐれも御自分の身も大切に。

大変な年明けになりましたね。
もう、声も出ません。
まめまるは阪神淡路大震災の被災者なのよ。
当時は、兵庫区に住み、焼け野原になった長田区近くの病院で勤務していたのね。
地震当日は、自分的には冷静に行動していたつもりだったけど、そりゃ経験がない事だから随分パニック状態だったのだろうと思うわ。
けど、翌日も、また翌日も、翌週も、翌月も余震が続き、電気もガスも水道も止まった状態の中、被害の状況が次々明らかになって行って。
電車もバスも有る程度の路線以外は動かないまま、ガソリンも不足していたから、同僚の多くが自転車と徒歩を駆使して通勤し、また病院で泊まって。
で、勤務していた病院にも避難者の方々が押し寄せて、治療が必要な方と避難されている方が混在して収拾がつかない状態で。
野戦病院を知らないけれど、こんな感じなのかなぁと思ってたわ。
今思い出しても、目の前の、今自分に出来ることを家庭でも職場でも、各自で判断して、各人が精いっぱい行動していた。
そんな記憶しかないのよ。
そうね。
必死だったわ。
勿論、余震は恐怖よ。
でもね、恐怖より必死だった記憶よ。
有り難い事に、まめまるの家族や友人は、命を亡くした人がいなかったの。
だから、出来ることをやれる状況だったからなんだけどね。
でもね、そんな状態って数日で終わる訳じゃないのよ。
電気やガスや水道だって回復するのに数か月かかったの。
電車やバスが復旧するのだって、やっぱり数か月よ。
いや、完全復活は1年以上かかったと思うわ。
震災ルックなんて言葉が出来るくらい、長い間パンツとスニーカーとリュックに身を固めていたわ。インフラが回復しても、傷んだ体や心は簡単には回復しないわよ。
受けた経済的ダメージは、なんなら時間が過ぎれば過ぎるほど堪えるのよ。
実際、10年経っても、20年経っても、復興支援の住宅から、結局出ることも叶わず亡くなられる方も沢山居られた。
ニュースで地震で揺れている映像を見ると、動悸がするわ。
輪島地区の火災が燃え広がっているのを見ると、涙が出るのよ。
多くの人生が終わりを迎え、進む道を変えざるを得ない状況になり、その影響はハウリングするかのように、被災者の方を中心に親族、親戚、友人…と繋がって行って、20年、30年という単位で戦わなくちゃならないかもしれない現実があからさまに映し出されてて、見ていられなくなるの。
辛いわね。
なのに、追い打ちを掛けるように、支援物資の輸送を担っていた海保の航空機の事故。
非常時でも、冷静に行動が出来るように訓練されているだろう人だって人間だもん。
原因は分かっていないけど、これだって地震の被災者よね。
思い返せば、東北の地震の時は、一部の薬が製造できなくなったり、容器が確保できなくなったりでね。
供給不足で、東北から離れたまめまる生息地でも、多くの患者さんに影響が有ったわね。
可能性を考えるなら、今後は復興のための税金が上がるかもしれないしね。
そう考えると、全く影響のない人なんていないわよね。
もうね、思うのよ。
自然災害は避けれないでしょ?
どんなに研究して、予測して、予防してても、あざ笑うかのように明後日の方向から、ありえない強さでやって来るじゃない?
未知の○○だったのよ~とか言うじゃない?
コロナだって、台風だって、火山の噴火だって、熱波だってそうよ。
で、往々にして人類は、それに一致団結して立ち向かっても敵わないレベルなのよ。
だったら、人類同士で争って戦ってる場合じゃなくない?
そんなエネルギーが有るなら、敵とするターゲットを自然災害に絞って、各国の知恵と技術を出し合って全振りして立ち向かうべきよ。
その方が、全世界の人々が幸せになれると思うんだけど。
なんだかね、「人類よ、争ってる場合かね?いつになったら気が付くんだい?」って神様に言われてる気がしてるの、まめまるだけなのかな?

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