往診契約

まめまる父

往診で輸血をして下さる診療所に契約に行った。
診療所は、阪神間に有り、自宅からだと車で1時間程度。
山彦さんが、仕事が休みだから、一緒に行ってくれるという。
途中で妹をピックアップして、妹、山彦さん、私の3人で訪問することになった。

予約してあったので、到着して訪問の要件を伝えると、すぐに看護師さんが対応して下さった。
現在入院している病院からの紹介なので、父の現在の状態や検査結果が既に伝えてあった。
私達は、くどくどと説明する必要も無く、聞かれた事に補足で付け加える程度で、必要な書類に署名と捺印し、最後に医師の面談を受けて終了した。

2日前に現在の主治医から告げられた余命は、早くて今年いっぱい。
ケド、血液検査の結果や介護度4の認定が示す重症度に対して、私達家族の目に映る父の姿は弱ってきているとはいえ、今までと大きく変わらず、とても今年いっぱいの余命宣告を受けている人の感じでは無い。
どうしても、実感が湧かない、いや、信じたくない私は、すがる思いで診療所の医師にも余命を確認した。
けれど、返ってきた答えは、まだ一度も診察していないので、手元に有るデーターを見る限りですが・・・という但し書きがついてはいたものの、「やはり1~2か月」の状態との見解だった。

「本当に、そうなんだな」
私は、やっと事実を事実として受け入れる覚悟をする気持ちになった。

延命治療、脱水時の点滴、苦痛時の麻薬の使用等の希望を聞いて下さった。
苦しさや痛みを和らげるための緩和医療については、有難く受けさせてもらいたい。
けれど、無駄に苦しむだけの延命治療は希望しない。
これが妹と私が出した答えだった。
この答えは、私が自分の終末期医療に対する希望と同じである。

MDSと診断されてから1年間、父は立派に戦った。
今だって、戦っている。
脳梗塞も発症したが、リハビリだって頑張った。
麻痺している足が、少し動くようになって喜んでいた。
けれど、現実は着実に終わりに向かっているらしい。

医師によれば、今後は坂道をゆっくり下るように徐々に悪くなり弱っていくというより、感染症や発熱、誤嚥性肺炎、出血などをきっかけとして、階段を下りるようにストンストンと悪くなって行く可能性が高い。
そして、状態に何らかの変化が有っても、決して家族が狼狽えること無いよう、覚悟をするように。
心しておくように。
そういう事だった。
だったら、上辺だけだとしても、元気な父の姿を見れるのは、本当にあとわずかなのかもしれない。

退院した父と同居するのは、母のみ。
けれど、可能な限り妹と私がサポートする。
妹と、私達のうちどちらかが付き添っている時に、もしも父の体調が急変して医療の対応について決断しなければならなくなった時、その決断がどんなものであったとしても、それが最高の決断だったと受け入れ、お互いを責める事は絶対しないでおこうと話をした。
そんな話を妹とする機会が作れたのも、有り難かった。

父の闘病と介護の記録を忘れないように書き留めたい。

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